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バイクエッセイ冒頭


バイクエッセイ1『オートバイと一人旅』

私はいつも一人で旅をする。
オートバイに乗り始めたころは一緒に走りに行く友達がいなくて必然的に一人だった。何人かでツーリングをしている楽しそうな人を横目で見ながらしぶしぶ一人で走っていた。不安と孤独を抱えながら自分なりにオートバイとの付き合い方を模索し、少しずつ一人旅が私に与える影響に満足するようになっていった。
そのうちにオートバイに乗る友達が少しは出来たが、今でも基本的には一人で走る。気の合う仲間との集団走行はそれはそれで楽しいのだろう。でも私は単独行動の本能が根付きすぎていて...
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バイクエッセイ2『自分自身でありたい』

オートバイに乗るようになってから「女性なのに…」「女性だから…」というフレーズを聞くことが以前に増して多くなった。それが否定的な意見にせよ、肯定的な表現にせよ、「女であること」を前提にして成り立つ言葉には違和感を感じる。性別でくくられるというのはどうにも不自由な思いがしてならないのだ。
私はオートバイでよく一人旅をする。旅の道中は日常のしがらみから解放されてたえまなく本来の自分自身を取り戻していく。男とか女とか関係なく「自分らしく」いられるものだ。 それなのにオートバイを降りると「女性なのに」という言葉で話しかけてくる人があまりにも多すぎる..
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バイクエッセイ3『見えないものにしばられたくない』

どこの世界にもつまらない階級意識や劣等感、優越感といったものがある。オートバイに乗る人にもこういった目に見えないものにしばられている人がいる。
排気量が大きければすごいとかかっこいいとかいう階級意識と、排気量の大きなバイクの所有者が小型・中型バイクを馬鹿にするといったことがそれである。それぞれのオートバイに異なる魅力があるはずなのに、ただの排気量勝負になっている面が日常的に感じられる。それは決して気持の良いものではない。
私は物質的な豊かさよりも精神的な豊かさを重視すべきだと思う。
かく言う私は人一倍の虚栄心と劣等感から、リッターバイクを所有していた時期がある。二十歳になってすぐ、ヤマハのFJR1300を買ったのだ..
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バイクエッセイ4『日本一周という目標』

私は18歳の頃から日本一周の旅を始めた。
オートバイでの「日本一周」とは人によって様々なとらえ方がある。私が自分に都合のいいように解釈した「日本一周」のルールは、すべての都道府県に最低でも一泊はすること、そして連続したものではなく断続的なものであることだった。私には東京での日常がある。その日常の仕事を工夫し旅に出る時間を幾日か確保して、「日本一周」という目標達成に向けて一人走りに行く。そして決まった日までに日常に戻り、また旅にでて・・を繰り返したのである。この旅を始めてから4年が経ち、残すは北海道と沖縄になった今、折りあるごとに自分の旅を回想する...
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バイクエッセイ5『乗り始めた理由〜今へ続く道』

なぜバイクに乗ることを選択したのか、人は覚えているだろうか。
私に関してはバイクは遊び道具ではなかった。通勤や通学の足でもない。最初から、日常を離れて旅をするための道具としか考えなかった。バイクの免許を取ろうとしたきっかけは覚えていない。友達や親兄弟が乗っていたわけでもなく、彼氏の後ろに乗って・・・という楽しい思い出があるわけでもなく、何かしら誰かから影響を受けたのかもしれないが記憶にない。なぜ17歳の頃あれほどまでにバイクに執着したのか自分でも理解に苦しむが、どうしてもどこか遠くへ一人で行くことが必要に思えて、その手段はバイクでありたかった。免許を取ることに周囲の反対がないわけでもなく、不安じゃないわけでもなかったがバイクを手にいれなければ前に進めないと真剣に、大真面目に考えていたことを覚えている。
それは今思えば、自分の思う通りに人生を生きたいという欲求から生じていたように思う...
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バイクエッセイ6『乗らない日々の罪悪感

オートバイに乗らない日々が続くと、なんだか悪いことをしているような気がすることがないだろうか。                               
私は休日であってもオートバイに乗らないことが多い。他にすべきことがあって乗る時間がない時もあるが、単純に気分がのらないから乗らない、という日が圧倒的に多いのだ。対して「休みの日には必ずツーリングに行きます」という人もいるが、人それぞれにオートバイとの付き合い方があるのだから大抵は何も思わない。でも時間に追われて生活のバランスを自分で思うように管理できていない時には、そういった人に出会うと気分が沈んでしまうことがある。自分が全然乗っていないことに対して罪悪感にかられるのだ..                     .

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バイクエッセイ7『八丈島へ』

 2007年9月、私は4日間の休みを利用してどこへ行こうか考え込んでいた。地図を眺めてみるが、どの土地にも内的必然性を感じない。オートバイのある生活が始まってから5年、旅に出る時間を作っては日本中を一人忙しく走り、日本一周がほぼ完結した今、さしあたり行きたいところがなくなってしまったのである。それに私は、自分の旅の形に正直疲れていた。・・・・・ 私はほとんど休まずに走り続けるだけの旅をもう終わりにしたかった。そのために、旅を自分の望む形に変えられる場所を探していた。そんな折、ふと思いついたのである。「そうだ、島に行ってしまえばいい。」
単純な発想だが、帰りのフェリーに乗るまで島から出られない状況なら、どの道そんなに遠くへは行けないと思った。陸路で行けない島ならどこでも良い。私はきっと立ち止まり、ゆっくりと周りの景色を眺めることができるだろう
・・・
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バイクエッセイ8『風の香る場所』

 夏の終わり、福島県の裏磐梯を訪れた。磐梯山の北側に位置する、緑豊かな高原地帯である。
磐梯山ゴールドラインをぬけて、459号線を北へ走ると、もう風がひんやりと肌にしみる。道の駅「裏磐梯」で岩魚の塩焼きを食べて、大きく伸びをした。空が高い。
 今、オートバイの背景になっているのは、夏を謳歌してきた青々とした緑ばかりである。でもじきに、秋があざやかに彩り、やがて真っ白な雪に覆われる静かな冬が来る。その、巡る四季の豊かさが、最近は妙に寂しく感じられるようになった。自然も人間も一日とて同じ表情を見せないということを、以前にも増して感じやすくなっているのを感じる。
 それは、なんというか、「現在」がたまらなく愛おしくなる感覚である。「今」という時間には二度と戻れず、過ぎ去っていった過去は還らない。変わらないものは何もない。そういった当り前のことが、どうにも寂しくて痛いのだ。
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